10月の
ものがたり

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---空色朝顔---
--空色朝顔さん、お元気ですか? まだまだ暑い日がありますね。ぼくは元気です。--

 一行だけのメールを三度繰り返し読んで、いつものようにわたしは迷いました。 「アドレスが間違っていますよ」と、そう返信してみようかしらと。でも、下の弟の樹(たつる)に、「知らないメールは無視して削除すれば良いんだ。安易に返信しちゃだめだからな」と言われたのを思い出し、それを理由にして手を止めるのです。

 パソコンは、弟がアパートを借りて家を出るときに置いていったものです。「大きなデスクトップは狭いアパートに邪魔なんだ。そうだ、姉さんが店で使ったらいいよ」と、事務所に据え付けていったのです。築35年の古い植木屋の事務所には本当に不似合いな機械ですし、実際、仕事に使うことは考えもしなかったのですが、「新しいことを覚えるのは暇つぶしにも気晴らしにもなるよ」と弟は笑って、わたしに最低限の使い方を教えてくれました。
 インターネットに繋いで、メールアドレスを作ってくれたのは秋になってからでした。

 弟は気づいていたのかもしれません。出戻りのわたしが新しい恋をし始めていたことを。
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 その人と初めて言葉を交わしたのは、年が明けて10日ばかりたった、まだ冬の寒い頃でした。わたしはその日、となり町の小さな産婦人科で手術を受けて帰るところでした。

 麻酔からぼんやり醒めた後、充分に様子を見た上で帰らされたはずでしたが、どうにも下腹部が重く、それでいて、ぽっかりと腰の辺りに空洞が出来たような心許なさに立っていられなくなり、わたしは病院のふたつ隣りにあった文房具店の前にしゃがみ込んでしまいました。
 店先に出してあったアルミ製の傘立てに手を掛けて、どうにか立とうとしているところに、店の中から「その人」は出てきて手を貸してくれました。
「病院に、戻りますか?」と、何もかも見ていたようにその人は言いました。わたしは大丈夫ですと応えました。その人は、では少し休んでいってくださいと、いたわるように背を押して、わたしを店内に導きました。

 普段のわたしであれば頑なに遠慮をしたはずなのに、手術後のだるさがわたしから余分な警戒心を奪っていました。それまでも何度か買い物に来て、特別な言葉こそ交わさないまでも、その人と顔見知りだったせいもあるかもしれません。
 店の中では小学生の女の子が3人、文具を手にとっておしゃべりをしていましたが、その人はカウンターの奥の椅子にわたしを座らせました。すぐそばに裏口の扉があって、小さな中庭が見渡せることにわたしは初めて気づきました。樫の木が一本だけ植わっていました。

 その人はブルーのカッターシャツに紺色のクルーネックのセーターにジーンズ。まるで学生のような格好に、デニム地のエプロンをかけていました。その日に限らず、いつもそんな服装でした。背は高くもなく低くもなく、これまで大きな声は上げたことは一度もないのではないかと思えるほど、物静かな人でした。
 その日のわたしはといえば、着古したキャメルのコートに分厚いタイツ。まるで、絡まり合ったままほどけない毛糸のあやとりみたいに、丸まってぼんやり座らされたまま、意味もなく手を伸ばしては、ふくらはぎの辺りにできている毛玉に触れたりしました。

「すきま風、冷たくありませんか?」とその人は聞いてくれました。「なにか温かい飲み物でも差し上げられたらいいのですが、あいにく今日は……」と言いかけるその人に、「中絶をしたんです」と、わたしは唐突に言いました。なにか、妊婦さんのように大事に扱われるのが申し訳ないような気がしたのです。
「そうですか。それは残念でしたね。わたしの妻も最初の子を6週ほどで掻爬しました。赤ん坊がお腹の中でそのくらいのうちに亡くなることは、10人にひとりくらいあることのようですよ。とはいえ、そう言われたところで心の痛みは変わりませんよね。
 腰が、だるくはありませんか? おそらく、今夜はうんとだるくなりますよ。妻もそうでした。そうだ、これ、これを差し上げましょう」

 係留流産だと勝手な勘違いをしながらその人が差し出してくれたのは、ゴルフボールより一回り大きいふたつのスーパーボールでした。虹色の四角い破片が入ったものと、黄緑色の蛍光色のものと。
「寝るときにこうして、腰の下に入れるといいです」
 拳を腰にあててその人は微笑むと、エプロンのすそで少し磨くようにこすったスーパーボールを私のバッグに入れました。「きっと役に立ちますよ」と。
 腕に掛けたままだった大きな布製のバッグが、そのボールの分だけ重くなって、あ、と思ったらなぜか、ぽろぽろと涙がこぼれてきてしまいました。
 その人は気づかないそぶりで立つと、レジに向かって仕事を始めました。
 どれくらいわたしはそうしていたのでしょう。口をぎゅっと結んで中庭を見ながら涙がこぼれるに任せていましたが、やがてこぼれ始めたときと同じようにふいに、それは止まりました。

「あれは、樫の木……ですね」と、わたしは泣きやみましたという合図のようにそう言いました。
「樫の木ですか、あれは」と、その人は少し白髪の目立つ頭を掻きながら窓のそばまで来て言いました。
「ぼくはあれが花の咲く木だったらいいなと、ずっと思っていたんですよ」
「花、咲かせられますよ」と、わたしは言いました。その人はただ目を丸くしてわたしを見ました。
 わたしは頷きながら、今日の日のお礼に、きっとそれをプレゼントしようと決めていました。
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 家に帰ると具合が悪いと断って、わたしは部屋で横になりました。植木職人の父は庭で道具の手入れを、母は事務所で近所の方とおしゃべりをしていました。
 ふたりともお正月以来、腫れ物に触るようにわたしに接していました。離婚を決める前にはあれこれと厳しいことも言われ、母の涙を見ることにもなってしまいましたが、届けを出してしまった後ではもう、何を言っても仕方ないと諦めたのでしょう。

 わたしと夫だった人とは、市のオーケストラで出会いました。もちろん、仕事ではなく趣味として参加していたオーケストラです。彼はコントラバス、わたしはフルートでした。たまたま互いの仕事場が近くにあったことから(彼は整骨院のお医者さんで、わたしはその近くの不動産屋の事務をしていました) 親しくなって、1年ほどで結婚をしました。
 披露宴では仲間達が素晴らしい演奏をしてくれました。聡明でハンサムな彼と似合いの夫婦だと言われることがとても誇らしく、わたしは幸せでした。

 ところがその、ほんの数ヶ月後のことでした。ひょんなことから、彼にはわたし以外にもつきあっていた人がいたことが分かってしまったのです。相手はチェロを弾いていた、薬学部の知的な学生さんでした。彼は結婚前に既に終わったことだと言いましたが、そうですかとは流せませんでした。知らない人ならまだ良かったのかも知れませんが、夫とその彼女が一緒に居る様子が目に浮かんでしまうのが、たとえ過去のことでもわたしにはつらかったのです。
 そんなわたしのせいなのか、それとも「終わった」というのがもともと嘘だったのか、やがてその学生さんと彼が今でもつきあっているのだということを、かつてのオーケストラ仲間から知らされました。彼女は妊娠をしていました。

 離婚することを両親に報告した時、母はわたしに、「早く子供さえできていたらこんなことには……」と言いました。そうすればわたしも子供の為に我慢ができただろう、彼も心を入れ替えただろうと言うのです。
 でも、そんなのは間違えです。
 まだ子供がいなかったおかげで、わたしと彼は速やかに別々にやり直すことが決められたのです。わたしは彼を許すことが出来ないし、彼も彼女を捨てることができない、そんな二人ならば、別れて別の道を選び直して何が悪いでしょう。
 そうして、去年の暮れにわたしと彼は正式に離婚をしました。

 自分も妊娠をしているのだということには、しばらく前から気づいていました。誰にも話さずひとりでずっと隠していました。そのことで彼を引き留める気も、彼と彼女とその子供の行く末を邪魔する気もありませんでした。かといって、彼の子供を産んでひとりで育てるには、あまりにも彼を憎んでしまっていました。
 そうです。
 文房具店のその人に出会ったのは、夫だった人の子供を堕胎した日だったのです。

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 その人の言う通り、その晩は腰がだるくて寝付けませんでした。痛い方がどれだけましだろうかと思いました。
 誰かに腰を押して欲しい。そう思っても誰にも頼めません。その時に、昼間もらったスーパーボールを思い出しました。試しに腰の下に入れてみました。それは誰かが指で押してくれるような心地よさでした。
 時々ボールの位置をずらしながら、うとうとしては目を覚ましました。それでも明け方には短い間でしたがぐっすりと眠ることができました。

 数日して、術後の検査の為に病院に行った帰り、文房具店に寄りました。看板を見上げ、わたしは初めてそれが「青空文具店」という名前であることを知りました。
 わたしは少しだけ、前よりもおしゃれをしていました。もっともそれは、毛玉のついたタイツが、おろし立てのストッキングに変わった程度でしたが。
 その人はいつかと同じ服装で、店のポスターを描いていました。売り出しのポスターでした。
 「一部商品を除いて、全品5割引セールです。どうぞいらしてください。」
 きちんとした楷書の文字の、生真面目なポスターでした。

「身体の具合はいかがですか?」と、その人はわたしを見ると言いました。そうして、何か買わなければという気持ちで店内に目をやっていたわたしをまた、大事に椅子に座らせました。
「今日はココアがあります。煎れてきてもいいですか?」と、その人は聞きました。
 いいですか?という言い方がおかしくて、思わずわたしは「はい」と言ってしまいました。 
 赤いホーローのミルクパンに温めたミルクを入れて、その人は戻ってきました。ココアの粉の入ったマグカップを二つ並べ、そのひとつにゆっくりとミルクを注いでスプーンでかき混ぜます。ゆっくりと、真剣に、まるで何かの実験のように……。

 それで思い出したのですが、その人は高校の時の化学の先生にとてもよく似ているのでした。少しくせっ毛であるらしいもみあげのあたりも、短めの眉も、ハンサムというのではないけれど愛嬌のある優しい顔が懐かしいほどよく似ているのです。
 わたしの視線が気になったのでしょうか、「どうぞ」とカップを差し出すと、その人は背中を丸めたまま、もうひとつのカップに取りかかりました。わたしのカップの中のココアはまだ、ゆっくりと回っていました。手の中で揺れたその温かさを、わたしはまだ覚えています。

 帰り際にわたしは、封筒に入れて持ってきたヘブンリーブルーの種を差し出しました。
「ヘブンリーブルー? 天の青……ですか?」
「はい。朝顔と同じような花ですが、夏ではなくて、秋に咲きます。木の根本に種を蒔いたらきっと、あの木を支柱にして蔓をのばして、大きな青い花をたくさん咲かせると思います。そうすれば、樫の木が花を咲かせたようにも見えると思います」
 まるで生徒のようにわたしは答えました。その人は「ありがとう」とぎこちなく微笑んで、エプロンのポケットに封筒をしまいました。

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 それから時々わたしは、青空文具店を訪ねました。消しゴムをひとつを買うためであったりもしましたし、病院や買い物の帰りであることもありました。
 いつも同じ椅子に腰掛け、窓から中庭の樫の木を眺めて、わたしたちは少しだけ話をしました。
 他愛のない話でしたが、その人との間には何かしら通うものがあるように感じられました。人見知りのわたしなのに、その人との時間と空間にはやすらぎを感じたのです。
 わたしのために用意される椅子、わたしのための飲み物、わたしを笑わせてくれる話……全てがわたしのための特別なものに思われました。
 わたしは寂しかったのかもしれません。手術をしたことを知っていて、労ってくれる人が欲しかっただけかもしれません。その人が女性であれば、なんでもないことだったのかもしれません。
 いいえ、
 やはり女性ではだめだったでしょう。
 わたしには、わたしに優しくしてくれる男性が必要でした。照れくさそうに見つめてくれる人を欲していました。自惚れにしろなんにしろ、枯れかけたわたしに丁寧に水を注いでくれる、その人はそういう人でした。
 水を求めて会いたくて、話したくて、そのことが自分の中で大きな揺れになり、やがてわたしは自分のその気持ちに戸惑うようになっていきました。

 喜びや期待が大きくなるほど、ちょっとしたことが悲しいものです。
 たとえばあるとき、わたしはその人の紺色のセーターの袖口がほころびているのに気づきました。けれども、それに気づいて声をかけ、直して上げられるのはわたしではありません。
 またあるときは、通りがかるとまだ早い時間なのに店を閉めているところでした。その人は風邪をひいてとてもだるいから帰るところなのだと言うのです。そうですか、お気をつけてとわたしは言うしかありませんでした。家に帰ればちゃんと労ってくれる人がいるのですから。
 また時には、店の奥のプライベートなスペースに置いてある幼稚園の黄色いバッグや帽子がちらりと見えただけで、寂しい気持ちになってしまいました。
 もっと心を通わせたい。あるいは、何かをして差し上げたいという気持ちが募るほど、わたしがそれをする立場にはいないこと、わたしがしなくても、その人にはちゃんとしてくれる人がいるのだという事実に、思い当たってしまうのです。
 さかのぼれば最初にわたしにスーパーボールをくれたこと。あれも奥様への愛情があればこそ思いつくことでした。
 なにをわたしは勘違いしていたのでしょう。

 わたしは、その人に会いに行くことをやめました。
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 青空文具店が閉店したことを知ったのは、春が過ぎて夏になった頃の、弟のなんでもないおしゃべりからでした。
「ジュースがどれでも100円の自販機があったのに、文房具やの取り壊しと一緒になくなっちゃってさ……」と。
 わたしはその翌日、久しぶりに文具店のあった場所を訪れました。並びの店と一緒に取り壊されたのか、思いの外広い空き地がそこにはありました。
 樫の木だけはまだ残っていたのですが、花はもちろん、ヘブンリーブルーの芽はどこにも見あたりませんでした。
 あの種はどうしたのでしょう。蒔いても芽を出さなかったのでしょうか。それとも奥様が別の場所に植えたのでしょうか。
 どちらにしろ、それはひとつの答えであるような気がしました。
 わたしとその人の間には初めの初めから、何もなかったし、何も残ってはいないのです。

 気持ちのやり場に困るとわたしは、授かった子供を産まなかったことを悔やんだりしました。愛情を傾け、何かをしてあげることのできる場所があれば、空虚な気持ちは満たされていたかもしれないのにと勝手なことを思ったりしたのです。
 一人暮らしの弟のアパートに世話を焼きにいったのも、そういった気晴らしのひとつでした。あまりのお節介に気味悪がられたりもしたのですが、そのおかげでわたしはまた弟から新しい情報を得ることになりました。

「こないだ朋美の幼稚園に仕事で行ったんだけどさ」
「仕事?」
「あ、親父には内緒だよ。俺のボランティアでやった剪定だから、七夕んときと同じで金なんかもらってないし」
 弟は市役所を辞めて、父の下で植木職人の修行中なのです。朋美ちゃんというのは弟の幼なじみで、幼稚園の先生をしているのですが、わたしにとっても妹のような子です。
「その時知ったんだけどさ、壊されちゃった青空文具店、あそこの子供さ、朋美んとこの幼稚園に来てるんだよ」
 え? と言いかけたわたしの顔色を、弟はちらっとうかがうようにしてから続けました。
「こないだ朋美んとこに行ったとき、その子、めぐみちゃんていうだけど、みんなに意地悪されて泣いてたんだ。夏じゃないのに朝顔が咲いてるなんて嘘言ってるってね。幼稚園のも枯れてるのに、めぐみちゃんとこだけ咲いているわけないって……。なぁ、姉ちゃん、聞いてる?
 それで朋美と一緒に、めぐみちゃんを家まで送って行ったんだけど……」
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 帰るというわたしを送るからと、弟はバイクの後ろに乗せて、川沿いをゆっくりと走りました。いつの間にか大きくなった背中にもたれて、いつから弟はわたしの心を見透かせるようになっていたんだろうと考えていました。

 しばらく行くと弟はエンジンを止め、「ほら、あそこ」と、指を指しました。
 小さな川の向こう側に、その店はありました。もともと自宅だったらしい家に増築したらしい、真新しいブルーのペンキの塗られた店先の、隣家との境の歩道脇に不思議な木が植わっていました。太い幹の上に青い傘を乗せたような、キノコのようにも、街灯のようにも見える木でした。
「すごいだろ、あのシュロの木」
「シュロ……なんだ」
「そ。なぜか青い花を咲かせたシュロの木さ」

 弟はあの人を知っていたのでした。
 100円の自販機に寄る時に、わたしを店内に見かけたこともあったそうです。
「めぐみちゃん、あの木を俺らに見せて、ほらねって、得意そうだった。お父さんの大事な花なんだって言っていたよ。特別な朝顔だから秋に咲くんだって。
 そん時、なんかぴんと来たんだよね。あ、姉ちゃんの朝顔かもって。
 ほら、姉ちゃんはずっと前からあの花が好きで毎年育ててただろ? むかし俺も、秋に咲く朝顔があるって言って、学校で馬鹿にされたりしたことあったんだぜ。
 それで俺、あの人に姉ちゃんのこと訊いてみたんだ。そしたら、少しは元気になったでしょうかって逆に訊かれて俺、驚いたよ。姉ちゃんが……手術しただなんてさ……。言ってくれたら俺だって、少しは力になれたかもしれないのに。俺じゃアレでも朋美に着いて行かせたのに」
「ごめんね……」
「いや、うん、謝ることないんだ。姉ちゃんが一番傷ついてるんだから。
 あの人さ、姉ちゃんのこと、ふつうの奥さんだと思ってたらしいよ。そうじゃないんだって教えたら、そうだったんだ……ってさ、がっかりしてるんだかなんだか、俺、そのリアクション見てたらなんか、ちょっとお節介したくなってさ……」
 そこで言葉を止めると、弟は急にくすくすと笑い出しました。
「朋美とつい笑っちゃったんだけどさ、あの人って、高校ん時の化学の丸山に似てると思わない?
 めぐみちゃんは死んだ母親似らしくて、丸山とは似ても似つかないけど、本物の丸山の息子は丸山そっくりだったよなぁ……
 あれ? 姉ちゃんのときにも居たよね、ほら、化学の丸山。覚えてる?」

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--空色朝顔さん、お元気ですか? ずいぶん秋らしくなってきましたね。--

 一行だけのメールが今朝もまた届きました。
 弟の話を聞いてから、わたしの心はまた少し揺れ始めています。でもそれはちょっと、前よりも心地よい揺れです。
 しゅろの木に巻き付いて咲いていたヘブンリーブルーのように、わたしも何かを支えに立ち上がり、空色のきれいな花を咲かせることができたらどんなにいいでしょう。

 わたしは深呼吸をしてから、ゆっくりとキーボードに向かいました。

--しゅろさん(と、ここでは呼びたいと思います)、お手紙ありがとう。わたしはだいぶ、元気になりました。
 突然ですが、これから少し長い、わたしの話を聞いてくれますか?

 その人と初めて言葉を交わしたのは、年が明けて10日ばかりたった、まだ冬の寒い頃でした。
 わたしはその日、となり町の小さな産婦人科で手術を受けて帰るところでした……--

(終)