7月の
ものがたり

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---ぼくならまず7月7日は晴れますようにと書くだろう---

 雨上がり。兄貴の家の玄関先のクロマツに、色とりどりの折り紙が濡れた海苔のように貼り付いていた。織り姫と彦星の人形が、それは見るからに市販のビニール製のものだけれど、マツの葉の重なりを雲に見立てて乗せてある。兄貴のこどもたちがクロマツを笹の代わりにして飾ったのだろう。「ピアノが上手になりますように みき」と、どうにか読める文字は、7歳の姪の短冊だ。ちっとも練習しないくせにと、ぼくは思う。

 第一、笹の一本や二本、造園をしている親父に言えば……いや、ぼくに言ってくれたってすぐに持って来られたのに、なんでマツなんかに飾りを?
 ……まぁいいか、そういう家なんだ。

 ぼくは、まだ雨戸が閉まったままの二階の窓をちらっと見上げて、意固地な兄貴の寝顔を想像してみた。新築の家はさぞかし気持ちいいだろうな。兄貴一家が実家を出るまでのすったもんだを思い出しながら、ぼくは塀沿いの道を足早にぐるっと曲がる。3分と離れていない場所にでんと構えている実家の駐車場から、軽トラックを出して倉庫の前へ回した。必要な道具を拝借して積まなければならない。梯子と、あとは鋸に枝切り鋏。それくらいあればいいだろう。朝7時半。親父はもう、現場へ出かけたあとらしかった。相変わらず親父の朝は早い。軽トラを貸してくれるように、前もって言っておいて正解だった。

 兄貴の家とは違い、雨戸もカーテンも既に開いているけれど、実家からは誰も出て来る気配がなかった。でも、倉庫の入り口には、場違いな赤い蓋のタッパーがひとつ置いてある。開けてみるとにぎりめしがふたつ、卵焼きが三切れ入っていて、そばに小さなポットも置いてある。左手でにぎりめしを一口、右手でポットを口元に傾ける。タマネギとジャガイモの味噌汁だった。ああ、今朝のみそ汁は姉ちゃんが作ったんだな。味のことはよくわかんないけれど、母さんとはジャガイモの切り方が違う。

 そそくさとそれらをお腹に収めながら、なんだか、餌を与えられてどこからか様子を見られている野良猫のような気分になった。ちゃんと家に上がって食べて行きなさいと言われたこともあったけれど、アパートで一人暮らしを始めてからのぼくは、意地になって実家の敷居をまたがないでいるのだ。飯を食わせてもらっていたら独立した意味がない。ただ、こうしてたまに姉ちゃんが差し入れてくれる弁当だけが例外だ。
***

「つるちゃん、遅いぞ!」
 目的の幼稚園に着いて道具を下ろしていると、塀の向こうから声がした。幼なじみの朋美が、園庭の砂場から立ち上がって腰を伸ばしながらこっちを見てむくれている。
「今から始めて、ちゃんと子供たちが来る前に終わるぅ?」
「大丈夫だよ。このモッコクだろ? ハムキムシにもやられてないみたいだし、そんなに手間かかんないさ。おまえこそ、朝から砂場で遊んでていいのか?」
「遊んでるんじゃないわよ、点検よ。園児に危険なものがないかとか、結構大変なのよ」
「そういえば幼稚園のときにさ、思いっきり猫のうんこを握っちゃった奴がいたよな」
 それは朋美のことだ。
「もう! だから、そういうことがないようにって、気をつけてあげてるの!」
「はいはい。ところでセンセ、またエプロンのリボンが立て結びみたいだぜ?」
「へ?」
 朋美は砂で汚れた両手を宙においたまま、首をひねって背中を見ようとする。無理だってのに。
 
 ひよこの大きなアップリケのついたエプロンの下には、この幼稚園の先生の制服を着ている。制服と言ったって色気もへったくれもない。薄いピンクのポロシャツに、下は膝丈の紺のキュロットパンツだ。ひよこの後ろ側に、朋美の大きすぎて重力に負け気味の胸が、なんの主張もするまいとひっそり佇んでいるのをぼくは盗み見る。いつからこんな不似合いにデカくなったんだろう。

「だからエプロンは後ろがリボンじゃなくって、ボタンのやつがいいんだけど、ユミちゃんのお母さんからのプレゼントなのよ、これ」 
 ユミちゃんて言われてもわかんねぇよと思いながら、ぼくは花が終わったばかりのモッコクの枝を落とし始めた。台風が来る季節だし、とりあえず電線から遠ざけるように切っていく。
「市役所辞めて植木屋の修行するって聞いたときはどうなるかと思ったけど、結構さまになってきたね、つるちゃん。腕も逞しくなってきたみたいだし」
「だからその、”つるちゃん”ってのはやめてくれない?」
「じゃあ、たるちゃん?」
 まただ。
 この「つる」か「たる」かの問答を、今まで何度したことか。
 
 ぼくの名前は「樹」と書いて「たつる」と読む。うんと小さい頃には「たっちゃん」と呼ばれていた。ところが、幼稚園の年長組のときに、「たっちゃん」が転入してきた。見るからに利発そうで、誰よりもかけっこの早かった「達夫」だ。今は歯科医をしているそいつに、ぼくは「たっちゃん」という呼び名を取られ、代わりに「つる」と呼ばれるようになって今に至る。
 子供の頃は「つる、つる」とはやしたてられてずいぶんいやな思いもした。だから、今こうして梯子の上から幼稚園の中を覗いてみても、あんまりいいことは思い出せない。

 切り落とした枝を片づけはじめたころ、ひとりふたりと子供たちが母親に連れられてやって来た。すると朋美が大事なことを思い出したと、ぼくのそばへ寄ってきて言うと、園の駐車場の方へ引っ張っていく。
 壁に立てかけるようにして七夕の飾りが置いてあった。
「またでかい笹飾りを作ったんだなぁ……」
「人数も多いしと思って……。なるべく大きいのをって、つるちゃんのお父さんに頼んだんだけど……」
「七夕も終わった今、処分に困ってるわけ?」
「そうなの」
「いいよ、ついでに小さく切っといてやるよ」
 ぼくは右手の鋏を持ち直した。
「だめよ、ここで切っちゃ」
「なんで?」
「七夕飾りは願いをこめて川に流すんだって、子供たちに話しちゃったもの」
「ばぁーか、そんなでかい川がこの辺のどこにあるんだよ。それに、こういう針金とかプラスチックとか、環境破壊になるだろが」
「だって……」
 朋美の視線に誘われるように、ぼくは短冊に目をやる。字が書けない子どものは先生が書いたのだろうか。大人の字で書かれた短冊も多い。それにしても、「魔法使いになりたい」というのがやたらに目立つ。だよなぁ、魔法使いになっちまえば、とりあえず何にだってなれるしなぁと、ぼくは感心する。

「なぁ、おまえの短冊はどれ?」
「ないわよそんなの」
「なんだ。”たっちゃんのお嫁さんになれますように”……とか書いてねぇの?」
 もちろん、「達夫」のたっちゃんだけど。
「そんなこと書けるわけないじゃない。とにかく、つるちゃんにはこれをこのまま持って帰ってほしいのよ」
「んで、持って帰ったらそこで切ろうが燃そうがいいわけだね?」
「大きな声で言わないで!」
 ぼくは朋美と一緒にその笹を、かつぐというよりは引きずるようにしてトラックの荷台へ運んでいった。

 園の入り口にはさっきよりも園児たちが増えていた。早いとこモッコクの枝を片づけてしまわないと、やつらのオモチャにされてしまう。急ごうぜと、朋美を促そうとすると、
「あ、ともみせんせい、その七夕の、どうするのぉ?」
 と、甲高い声が追いかけて来た。短い髪を無理にふたつに結んだ女の子が、朋美のエプロンの紐を掴んでゆすっている。
「この笹はね、このおじちゃんに、川まで運んで流してもらうのよ。みんなのお願いがかなうように」
 だからそれは、環境破壊だってのに……。
「うわあぁー、みゆきも流すとこ、見たいなぁー」
「だめよ、遠いところだから」
 うそつけ!
「おじちゃん、がんばってねー」
 おじちゃんじゃない!

 ぼくは山ほどある文句を、職人らしく寡黙を装って飲み込んだ。
 うそは嫌いだ。
 そもそも七夕の夕べは雨で、星なんかひとつも見えなかった。会えなかった織り姫と彦星は、願いを叶えてくれたりするんだろうか。ぼくならまず、「7月7日の夜は晴れますように」と短冊に書いておくだろう。それが思いやりってもんだ。
 それとも、七夕の願いはもっとほかの誰かがかなえてくれるんだろうか?

 荷台に笹を乗せながら、ぼくはガキの頃に短冊に書いた言葉を思い出していた。
 それは「お父さんのような植木屋さんになりたい」だった。
 本気でそう思っていたわけじゃない。何を書いたらいいか迷っていたら、隣りでたっちゃんが「お父さんのような歯医者さんになりたい」と書いていたから真似をしただけのことだ。
 今だって、願いが叶ったなんて思っていない。植木屋は、時が来て、ぼくがやりたくて始めただけのことなんだ。
 幼稚園生なんかまだまだ可能性のかたまりじゃないか。夢なら「なりたい」じゃなく「なるぞ」と書いたらいいんだ。「たくさん練習して、ピアノが上手になる」とか「いつかきっと、警察官になる」とか。その方が神様も、かなえて上げる甲斐もあるんじゃないのか? なーにが「魔法使いになりたい」だ。

 子供たちの元気な声を聞きながら、ぼくはそんな夢のない屁理屈をこねていた。が、ふと、水色の短冊が目に付いた。それは、「かいじゅうになりたい」とか「すいかがたべたい」と乱暴に書かれた短冊とは違い、小さな紙に精一杯の大きな文字を、きつきつに並べて書いたものだった。

「おにいちゃんのびょうきがなおって、はやくおうちにかえってきますように かずとし」

 ぼくは園庭を振り返った。朋美と同じような若い女の先生たちが並んで園児を出迎えている。気の早いセミが鳴きはじめ、どの子も白い帽子の下でうっすら汗をかいている。

 かずとしという子はどの子だろう。

 その短冊がついた枝だけをそっと鋏で切って、脇に避けておいた。
 この枝だけは川に流してやろうと、ぼくは決めた。
(終)



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