(11)開けない箱ひとつ
 レーコさんが、剥がしたばかりの3月のカレンダーを、100円ライターぐらいの大きさに切っている。
 裏側をメモ用紙にするんだろうか、そんなビンボーくさいこと似合わないなと思っていると、半分をハラッポ(原くん)に渡して、それぞれ、こそこそと何かを書き込みはじめた。

 アタシは水槽の中からふたりの背中を見てる。
 アタシたち金魚みたいに背びれがあったなら、きっとふたりのそれは同じように揺れているんだろう……。

「できた?」
「待って、もうひとつ書くから。……いいわ」
「じゃ、5W1Hに並べよう……。あ、4Wか」

 「いつ」「どこで」「だれが」「なにをする」

 その分類ごとに、ふたり別々に書いたカードを合わせて混ぜてから、伏せてテーブルの上に置いた。だから今、4つのカードの山が並んでいる。
 まったくいい大人が何をやろうとしてるんだか。

「いくよ」と、嬉しそうにハラッポが言って、端から1枚ずつめくってその場に表を向けた。
 4組のカードはランダムに組み合わされて、ひとつの文章を作るらしい。

 「昨日」 「コンビニで」 「原君が」 「愛の告白をする」

「なんで”昨日”なのよぅ」とレーコさんが笑う。

 「去年」 「USJで」 「レーコさんが」 「シャワーを浴びた」

「そういえばさ、遊園地でびしょ濡れになったことあったよねぇ、みんなしてさ」
「去年じゃないけどね」
「そうそう、それでさ……」

 平穏で、しあわせそう。でもこのふたりには、何かが足りていないってアタシは思う。足りないというより、わざと見ないようにしている箱のような物が、ふたりの間にはあるんだ。
 それは部屋の隅に追いやられて忘れられそうになっているけれど、決してなくなったりしない。
 そこにちゃんとあるのに、ふたりとも見えないふりをしている。そんな不自然さ。

 「いつか」 「ぼくの田舎で」 「猫のみぃが」 「ひとりになった」
 「来年の春」 「海の見えるホテルで」 「キンギョは」 「買い物をする」

「やっぱりふたりでやったんじゃあんまり面白くないね」
「しかも素面だしねぇ……」
 ハラッポがひとりでめくり、レーコさんが頬杖をついたまま読み上げる。

 変な組み合わせにもあまりおかしさがなくなって、だんだんとテンションを下げながらカードはめくられ続けて、すぐに最後の一組になった。

 「いつかきっと」 「ふたりは」 「世界のどこかで」 ……

「おおー、最後の最後にこれはいい展開じゃないですか」
「待って!」
 ハラッポの手が最後のカードにかかると、レーコさんが慌ててカードとハラッポの手を押さえつけた。

「なに? あ、この最後のカード、レーコさんが書いたやつなんだね?」
「ねぇ、もうこのゲームはよして、お花見に行こう。せっかくだから」
 レーコさんはそう言いながら、ハラッポの手の下から、キュッとカードを抜き取った。

「だめだよ。風邪気味だから夜桜は諦めて、室内遊戯にしようっていったのはレーコさんだろ?」
「室内遊戯って言い方してないでしょ、なんかやらしいじゃない」
「やらしいって……
 ああー! わかった、そのカード、なんかいやらしいことを書いたんだな?」
「違うわよ!」

 レーコさんがそういうこと書くわけがない。たぶん、ハラッポにもそれは分かってるんだろう。
 最後のカードは、取り返そうと思えば簡単に取り上げて見ることもできるのに、そうしない。見てしまわない方が自分にとってもいいんだと、ハラッポはきっと感じ取っている。

 ほら、それも開けない箱にしまい込むつもりなんだ。

「それじゃ、夜桜を見に行きましょう。
 現在、ゲームは、ここで、終わりにする。
 今夜、ふたりは、堤防で、夜桜を見る。
 いま、ぼくは、上着を、着る」
「やめてよ、そのしゃべりかたぁ」
 レーコさんが笑う。
 箱はどんどん部屋の隅へ追いやられる。

「今夜、ぼくは、キミに、キスをする」
「はいはい、言ってなさい」

 ふたりが出かけたあと、やっぱり箱はそこにある。
 残された箱はいつかひとりでに開いてしまうんじゃないかと、アタシは気になって仕方がない。
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