(16)尾っぽのないやつの尾行はぬけている
 金曜の夜、ゴミを出しに行ったレーコさんが、藤野と一緒に戻って来た。
 わぉ、藤野が来た! また会えたよ待っていたよと、アタシは必要以上に尾びれを振っちゃう。

「下まで来たのはいいけど、どの部屋だったか分からなくなっちゃってさ……」
「迷ってたらおかしいじゃない」
 キツいなレーコさん。一度しか来たことがないんだもん、迷ったってしょうがないじゃん。
「そうだよな、おかしいよな」
 あれ? そういうものなの?
 藤野は部屋を突っ切って、まっすぐ窓のところに行った。ねぇねぇ、アタシに挨拶は?

「ちゃんと後をつけてきてくれたかなぁ……」
 カーテンの隙間から外を覗いて藤野はそう言う。
「つけて来てくれてないとなんにもならないよね」
 と、レーコさんも背伸びして同じ隙間から外を見ようとしている。後をつけられるなんて、スパイごっこでもしてるんだろうか。
「会社を出たときはそれらしい人を見たんだ。今日でダメだったら、また来週やらなきゃなんないのかなぁ。……ったく、千春の奴……」
「変な約束なんかしなきゃよかったじゃない」
 やくそく?

「毎週金曜日の夜には、藤野くんが来ていることにして欲しい、それが分かれば旦那が安心するからって言われたんだけど、どういうこと? 詳しくは藤野くんが知ってるって言われたんだけど」
「それがさぁ、離婚の危機らしいんだよ……。あ、ごめん、先に手を洗わせてもらっていい? 顔も」
「いいよ。そこの横に新しいタオルあるから、それ使って」
 藤野は一瞬考えた。きっとまた、マイタオルを持ってきているからそれを使おうと思っていたんだろう。でも結局、キレイに畳んで積まれたタオルの一番上のピンクの花柄の下にあった、無地のタオルを使った。藤野って神経質なの?

「俺だけじゃなくレイちゃんまで巻き込んで、まったく自分勝手だよ、千春は」
「もしかして、例の、大恋愛っていうのしてるの?」
「そういうことだね。アイツ、そのことをネットの日記にも書いていたらしいんだ。それを旦那さんに見つかって、絵に描いたような修羅場ってわけだな。まぁ、もともと怪しまれてたから、そんなブログも見つかっちまったんだろうけど。あの千春のことだから、自慢半分で書いてたんだろうなぁ」
 うそっ。アタシ、ちょっとショック。
 レーコさんもひいてる。
 
「名前とかも、それでばれちゃったわけ?」
「日記にはイニシャルしか書いてなかったらしいんだけど、旦那は、千春がこないだの同窓会の時に交換した名刺を見つけたらしくてさ。Fってのはありそうであまりないイニシャルだろ? それで相手は俺だって、確信したんだろうな。いきなり会社に電話がかかってきてさ。参ったよ」
「……で、藤野くんは千春の旦那さんになんて言ったの?」
「俺は関係ありません、知りませんて言ったよ。それしかないじゃん」
「ひっどぉーい」
 そうだそうだ、ひっどぉーい。
「ひどぉーいって……。あ、なあ、おい、まさかレイちゃんまで、俺が千春の大恋愛の相手だと思ってるわけ?」
 え? アタシもそう思ってるけど違うの?
「違うの?」
「あったり前だろ。Fっていっても俺じゃないんだって。冗談じゃないよまったく」
「なんだぁー……」
 よかったー。
「じゃぁ、どうして藤野くんが尾行されたりしてるのよ」
「だからそれがさぁ……」

 藤野が千春さんから聞いた話では、Fというオトコは、旦那さんに知られると大変に都合の悪い相手なんだって。旦那さんの知り合いなんだろうね。だから、千春さんとしては、旦那がF=藤野って勘違いしてくれたのは好都合だったんだ。
 それから、日記に書いていたことについては、ただの嘘日記だって言い張ったらしい。「レイコにやきもち焼かせようと思って書いただけ」って言ったんだって。つまり、日記のFというのは藤野のことだけど、そもそも全部が嘘の妄想日記であるからして、自分は何も実際に悪いことはしていないというわけ。
 
 そんなこと簡単に信じるのかな?
 
「あの同窓会の夜、千春を迎えに旦那がここに来ただろ? あのとき、千春の旦那はレイちゃんのことをやけに気に入ったらしくて、やたら千春と比べて誉めたらしいんだよ。千春は、だからわたしはレイコに嫉妬していやがらせを書いたんだ、つまり元を正せばあなたが悪いのよって、まぁ、よく考えればめちゃくちゃな論理だけど、そう言って泣いてごまかしたらしい」
 人間の女ってこわいなぁ。
「金曜の夜っていうのはなんなの?」
「千春は毎週金曜の夜、ボランティアの会合に出かけるんだってさ。旦那は、その外出時間のことを疑ってたらしいよ」

 つまり千春さんの旦那は、千春さんがボランティアと偽って、実はその時間にF(藤野)と会っていると思ったわけだ。そこで千春さんは、「藤野くんなら、金曜の夜はいつもレーコのとこに行く。だから私と会っているわけがない」って言ったらしい。その上、「嘘だと思うなら藤野くんが本当にレーコのとこに行くのかどうかを確かめてみればいいじゃない」とけしかけたわけだ。
 
 待てよ。藤野のアリバイがはっきりしてたらそれで安心なのか? 
 どうして旦那は千春さんの方を尾行しないんだ? 
 尾っぽのない奴の尾行は抜けてるよなぁ。

 それからしばらくして、藤野はあっさりと帰っちゃった。
 あーあ。
 一度もアタシのこと見てくれなかったよ。
   ← ...index...