(27)それって誰に言い訳してんの?
 窓からの光の中にきらきらと光るホコリの粒が、パズルの一片一片に舞い降りるのを、この一週間アタシは眺めていた。
 先週あっちゃんが持って来たジグソーパズルは、テーブルでは場所が足りなくて床の上に移され、中途半端なまま放置されている。四角い外枠の中に、赤い鳥居の足もとのようなものが、離れ小島みたいに組んであり、その周りには、ばらばらなピースが意味ありげに散らばっていた。
 
 約束通りに妹のあっちゃんは一週間後に来た。パズルの送り主である恋人のケータと、アタシの大嫌いな八木(ヤギヤギ)も一緒だ。
 でも、あっちゃんとケータはすぐにこたつに潜り込み、スナック菓子を広げておしゃべりをするばかりで、何しに来たんだかわからない。
 ヤギヤギだけがパズルの前にしゃがみ込んで、真剣に箱の中のピースと写真を見比べている。へー、意外。って、アタシが感心していると、ヤギヤギはその姿勢のまま、「おまえ、痩せたな」とつぶやいた。
 え? アタシ? わかんないな、あんまり自分のこと客観的に見られないし……
「痩せてる暇あったら、こんなパズルくらい仕上げろよな」
 あ、なんだ、レーコさんのことか。確かにちょっと痩せちゃったよね。落ち込んでたもんなぁ。
「あなたが来るって聞いてたから、とっておいてあげたのよ。
 好きでしょ? こういうの」
「あーっ、それ、わたしが先週お姉ちゃんに言ったセリフじゃん!」とあっちゃん。
「さすが元恋人同士は趣味が似てるんですね」とケータ。もう、余計なこと言うんじゃないよ。

 ほんの一時間もすると、あっちゃんはバイトがあるから帰ると言い出し、送っていくとケータも立つ。当然、ヤギヤギも帰るかと思ったら、
「俺はこれを仕上げるまで帰らないぞ」としゃがみ込んだままだ。
「先輩のことは後でまた迎えに来ます。じゃないと早苗ちゃんに叱られるし、ほら、お姉さんも困るみたいだし。だからそれまでにチャチャッと仕上げておいてくださいね、たのんます」
 じゃぁね! と、こたつの上も散らかしたまま、あっちゃんたちは帰ってしまった。
 いつもいつも、このメンバーはせわしない。
 
 そういえば、早苗ちゃんて、誰?

「ちょっとの間に随分進んでる。すごいね」
「だろ? まぁ、厳島神社ってのがイマイチ萌えないけどな」
「他の写真だったら、もっと早いんだ」
「そりゃそうよ」
「ふーん」
 そう言いながらレーコさんも横に一緒に並んでパズルを並べ始めた。アタシのところからじゃ後ろ姿しか見えないけれど、なんだか懐かしい感じのする光景。
 ああ、そうだ、あんなふうにふたりで金魚すくいをしていたんだろうな。そうしてアタシがすくわれたんだ。

「喉乾いたな。何かある?」
「うーん、ビールがまだあったかな……」
「いいよ」
 立ち上がろうとするレーコさんを止めるようにヤギヤギはうんとこしょと膝を伸ばし、
「俺が行く。開けてもいいだろ? 冷蔵庫」って言った。
 あーっ、こないだレーコさんがいなかった時は勝手に開けたくせに、今日はちゃんと断ってる。やだねー、人間て。

 ヤギヤギは扉を開けると腰をかがめてビールを見つけ出して、それから食べられそうなものを物色して、冷凍庫までがさがさ。
「なんだぁ? これ」
「え?」
 レーコさん、伸び上がってヤギヤギの手の中のビニール袋を見た。最初はなんだろうって顔で、それから少し曇った顔で。それは10センチくらいの氷の固まりみたいだった。

「わかった、雪だるまだ。そうだろ」
「ん……忘れてた」
「いつのだよ。どうせ何か思い入れがあんだろな。お前って意外とそういうの大事にしてたりするんだから。ほら、俺が釣ってやった金魚だって未だにちゃんとあれだし……」
「やぁね、金魚はわたしがすくったのよ」
「そうだっけ?」
 そうだよそうだよ。アタシは意志的にレーコさんにすくわれたんだからね、俺が釣っただなんて、冗談じゃないよまったく。

「あっちゃんがさ、気にしてるぞ、おまえに元気ないの」
 そう言いながら、ヤギヤギはカチコチの雪だるまを袋ごとテーブルに乗せた。上手く立てようとしたけれど立たなくて、それはごろんと転がった。
「今のレーコを見てると、あの時を思い出すな」
「あの時って?」
「村岡のこと忘れたくて、いきなり俺になびいた日」
 あ、その名前聞いたことがある。
 プシューッとビールの缶が開く音。
 なんだかとても静かで、アタシはもぞもぞと居心地悪くなって来た。静かなのには慣れているはずなのに、いやな空気。

 ヤギヤギはビールを飲みながらパズルのところに戻ってくると、レーコさんの後ろに立った。レーコさんはそのままピースを探している。ヤギヤギは膝をついて、片腕でレーコさんの背中をそっと抱いた。レーコさんはそのままピースを探している。鼻先を首筋に寄せて、「レーコの匂いがする」と言っても、レーコさんはそのままだった。少し腕に力を入れてもそのままだ。変だ。でも、変だと思ったのはアタシだけじゃないみたいで、
「おい、されるままになってんじゃねぇよ。……ったく」
 って、ヤギヤギはレーコさんの頭を軽く小突いた。
「だって、どうせすぐケーちゃんが戻ってくるから、本気で変なことするわけないってわかってるもん。だから……」
「なんだよそれ。誰に言い訳してんの?」
 ヤギヤギはレーコさんを右側に押しやるようにして、空いた場所にまたしゃがみこんだ。

「だいたいさ、振った男がいつまでも自分に気があると思ったら大間違いだし、俺ももう誰かの代わりはごめんだからな……」
「そんなこと思ってないよ」
「思っても無駄だけどね。おまえ、抱き心地も悪くなったし」
 ヤギヤギはレーコさんが持っていた箱を取り上げて、またジグソーパズルとにらめっこを始めた。それがまるで怒っているみたいだから、たぶんレーコさんはちょっと焦ってる。だって、最近のレーコさんはいつだってびくびくしてるんだ。
 
「ね、早苗ちゃんて、恋人?」
「ん?」
 ひとつピースをはめてから、なじませるようにとんとんと叩く音。
「総菜屋のおばちゃんだよ」
「可愛いの?」
「そりゃ……って、だからおばちゃんだって言ってんだろ」
「嘘ばっかり。わたしに気を遣うことないのに」
 ヤギヤギが気を遣うなんてアタシには思えないけどね。
 レーコさんはなんだかむくれて膝を抱えてる。
「あのな、そういうレーコの態度が俺に気を遣わせてるのわかんない? だからあっちゃんだって……」
「じゃぁさ、もっと気を遣ってよ。他の女の話なんかしないで」
「だからおばちゃんだってば……。なぁ、どうしたわけ?」
 ヤギヤギが覗き込むと、レーコさんはプリプリしている。
 ほんとに、どうしたわけ? ってアタシも思うけど、あっちゃんがヤギヤギを連れてきた理由は何となくわかるような気がしてきた。感情のまま態度に表すレーコさんなんか久しぶりだよ。

「じゃぁ、ちゃんと話すよ」
「なに?」
「俺さ、久しぶりに自分の曲、作ってるんだ」
「そうなんだ……」
 だから、なに?
「それって、その早苗ちゃんのおかげなんだね」
「まぁ、つまり、そいうことだ」
「そっか……」
 話しながらもヤギヤギはパズルをはめる手を止めない。履き古したジーンズの腰の擦れて薄くなっているのや、意外にきれいな靴下の足の裏なんかが見えていて、いつものヤギヤギとは違って思えてくる。

「必要としてくれる人に、出会えてよかったね」
「なんだよ、おまえだって俺を必要としてたろ?」
「え?」
 なんだぁ? その自信。笑わせようと思ったのかな。
「少なくとも、自分から村岡を裏切るのに俺が必要だったじゃないか」
 あ、またあの名前だ。
「それはもう言わないでよ」
「じゃ、あれだ、ほら、金魚を釣ってやるのに必要だった」
 だからアタシはレーコさんにすくわれたんだって言ってんじゃんか。
「わたしは?」
「なに?」
「うん……いいや。訊いてもしょうがないし」
「ちぇ」

 わたしは必要だった?
 レーコさんはそう訊きたかったんじゃないのかな。でも、本当に訊きたい相手はヤギヤギじゃないし、それは過去形で訊いてもしょうがないことだよね。
 アタシはレーコさんを必要としているよ。
 だけど、どんなにアタシに必要とされたって、レーコさんは満たされないね。それどころか、もしかしたら面倒に思っているかもしれない。アタシがレーコさんのホイに乗ってしまったばっかりに、連れて帰ってずっと世話をしなくちゃならなくなって……。

「なぁ、これ終わらせたらさ、ケータと一緒に飯食おうぜ。そうだ、ケータに買って来させよう。
 早苗ちゃんとこの惣菜食べたら、絶対にレーコも元気出るって」
「早苗ちゃんて、本当にお惣菜屋さんなの?」
 おばちゃんだっていうのも本当なの? って、アタシは訊きたいけど。
「嘘言ってどうすんだよ。
 あぁ、そうだ、米あるだろ? 飯だけ炊いとけよ。俺、さっさとこれを片付けてやるからさ」
 って、ヤギヤギは相変わらず強引だ。

「パズルのお礼にそれくらいはいいか……」とレーコさんはつぶやきながらキッチンに向かって、途中でテーブルの上に置きっぱなしになっていたビニールの袋を見つけた。
 もうほとんど溶けて水になってしまった雪だるまだ。アタシの知らないところでハラッポと作った雪だるまだったのかな。
 ヤギヤギはわざと、テーブルに出したままにしておいたんだろうか。

「そうそう、みそ汁もたのむなー」
 能天気なヤギヤギの声に、レーコさんは諦めたような顔で笑って、それから雪だるまのビニール袋を流しに捨てた。

 あ、そういえば、最後の一つのピースは、あっちゃんが持ってるんじゃなかったっけ? それがないと仕上がらないよ。
 知らないだろうな、ヤギヤギ。覚えているのかな、レーコさん。 
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