番外編5 原くんとあたし(猫のみぃ語るその3)
 あたしは結局、生まれた家に帰ってきている。
 ペット禁止のアパートでの、お忍び生活に憧れて、あたしが原くんのところの猫になったはずなのに、いつの間にか原くんの方が、あたしの生まれたこの家、みい子の家の人みたいになっている。
 
 みい子のお母さん、めり子さんのぎっくり腰は良くなってきたけれど、ひとりで仕事をやっていくほどの元気はなくて、ここの美容室をこの先どうしようかっていうのが目下の問題らしい。
 
「原くんのお父さんが、あっちで美容室を開いてお母さん(…というのはみい子の)を呼んだら? って言ってくれるのよ。その気になればお店の場所にも当てがあるって。でもお母さんはこの土地を離れたくないのよね……」と、みい子がそう言うのをあたしは聞いたことがある。
 原くんは原くんで、田舎のお父さんの仕事の手伝いをしなくちゃならない状況だから、こっちに居続けることもできないみたい。それでふたりは離れ離れ。原くんは行ったり来たり。これってエンキョリ? それともタンシンフニン? ケッコンはまだだけど。
 
 原くんは週末になるとここに帰ってきて、みい子とめり子さんのためにいろいろな用事をしてくれる。車を運転して大きなホームセンターに行って、組み立て式の棚を買ってきて組み立てたり、庭木を剪定したり支柱を立てたり、ちょっとしたペンキ塗りや電球の交換だとか、なんでも屋さんのように働いて、めり子さんに「やっぱり男手があると助かるわぁ」と感謝されている。

 めり子さんとみい子さん、それぞれの話し相手になることも、原くんのお役目だ。女ふたりがいつも顔を付き合わせていると、積もり積もっていく不満もあるらしくて、それを原くんがほぐしていくわけ。偉いねぇ、原くん。あたしなら知らん顔を決めこんじゃうのに。
 
 でも、時々ふっと思うの。原くん、なんか無理してないかなぁって。
 原くんが変わったのは、他の女の人の存在をみい子に疑われてからのことだと思う。誓ってあたしがチクッたんじゃないけどね。
 みい子ったら、原くんを誰かに取られてたまるもんかって、ものすごく必死になってた。なんだかそれは、あたしが心配になるくらいの必死さで、一度なんかお母さんやお店を放り出して、原くんのいる田舎に帰るって言い出した。「仕事なんか辞めてずっと家にいてあげるんだ」ってね。
 言い換えればそれって、監視みたいなものだよね。

 それだけ原くんのことを好きなのかもしれないけど、あたしならそんなの堪らないなーって思う。でも、そういうみい子の気持ちを受け止めて、できるだけ僕が帰るから、できるだけ一緒にいるようにするから、みい子は安心してお母さんを助けてあげなよって慰めて、その言葉通りにするようになった原くんもやっぱり、みい子が好きなんだよね。
 あの女の人よりも、みい子の方がずっと大事なんだよね、きっときっと。
 
 だから、原くんがひとりの時にぼぅっと窓の外を眺めていたり、流れてきた音楽に仕事の手が止まったり、タバコの煙をながーく吐いて目を閉じていたり、携帯を開いたり閉じたり、あたしを抱いてぼんやりしている時も、いつもいつも、原くんはみい子のことだけを考えているんだって、あたしは信じてる。
 
「最近ここんちには、ステキな男性がいるみたいじゃない?」
 なんて、美容室のお客さんがからかうように言うと、聞こえないふりをするみい子の代わりに、お母さんのめり子さんが誇らし気に言うんだ。
「いい男でしょ? うちの息子なのよ」って。

 それを耳にした原くんの胸はきゅっと痛んで、それからひゅぅと諦めの風に吹かれる。けれども、だんだんそれに慣れていっていることも、原くんの腕の中にいるあたしには分かる。
 
 そうして原くんはどんどん、ここんちの人になっていく。
 鎖で繋がれているわけでもないのに、もうこの家を出て行かないあたしと同じだ。

 おいしいご飯とあったかい寝床があって、争いのないのが一番だよね。

 でも、ほんと言うとあたしは、アパートにひとりで住んでいた頃の気ままな原くんの方が好きだったなって、こっそり懐かしく思うし、ドキドキしながらアパートの階段を忍び足で登る生活にだって、もう一度戻りたいって願わないわけじゃないんだ。



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