(37)もっと笑顔になれますように 
 レーコさんの部屋に3人以上の人間がいるのは久しぶりだ。レーコさんとヤギヤギ、あっちゃんにケータに美月に、えーと、1、2、3、4…1、2、3、…と、とにかく、4人よりたくさんいる。
 
 金魚は数字に弱いんだ。
 アタシだけじゃないんだよ。

 美月が四角いケーキを焼いて来た。これなら切り分けやすいねとレーコさんが感心した。レーコさんの妹のあっちゃんと彼氏のケータは、人生ゲームを持ってきた。ヤギヤギは来るなりアタシの水槽の横に置いてある、電話機のコンセントを引き抜いた。

「これ、なくたって困んないよな」
「うん…。携帯で済むから滅多に使わないけど…」
「じゃ、しばらく借してくれよ。FAXが必要なんだ」
 ……って、先にコンセントを引き抜いてから言うことじゃないと思うけどね。

「先輩、ファックスくらい買ったらいいじゃないですか」と、ケータ。
「いいんだよ。レーコんところは電話なんかない方がいいの。な?」
「え? まぁ……」
 そう言いながらレーコさんは、妹のあっちゃんを見る。
 最近、電話でいやな思いしていること、レーコさんはあっちゃんに話したんだね。それであっちゃんが八木に話して、八木が電話機を無くすっていう、あいつらしい短絡的解決方法を見出したってことなのかもしれない。

「先生、ファックス欲しいならサンタさんに頼んだら?」
 ぼそっとそう言ったのは……あれ? だれだろう。 
「なにヨシナガ、ひょっとしてまだサンタクロースなんか信じてんの?」
「ヨシナガじゃなくてヨシミズです」と訂正したのは美月。美月の友だちなのかな。背が低いし猫背だし、なんだかぱっとしないけど、ボーイフレンドとかカレシとかいうもの? 
「そうだレーコ、おまえが新しい電話機をサンタに頼めよ。今のは着拒とか、いろいろ便利な機能もついてるんだし」
「ああ、うん、そうだね」
 チャッキョ? なんだろうそれ。今日は知らないことが多くてアタシは大変。

「あのですね!」
 わっ、もうひとり知らない人間がいた。
「サンタで思い出した恥ずかしい話をしてもよろしいでしょうか」
 ん? 突然よろしいでしょうかって、なんだろう、正座しちゃってるし。
「ああ、恥ずかしい話でもなんでもしろしろ、勝手にしろ。俺はトイレ行ってくるからさ」と、ヤギヤギはさっさと立ち上がった。

 初登場のその男は、もっさりした紺色のセーターを着て、インナーも紺色。その紺色が、主にレーコさんの方を向いてしゃべり始める。

「ぼくが、サンタクロースなんかいないんじゃないかと気付いたのは小学生の頃なんです。でも、小さい妹もいましたし、なんとなく両親の手前、信じた振りを続けていたんですね。それで、サンタがいないということは、いつ明確になるんだろうと思っていたんですけど、ある年の冬にテレビを観ていてこれだって思ったんです」

 ここで紺色は変な間をおいた。美月は唇のかさかさをいじっていて、ヨシナガ? ヨシミズ? は、袖口で携帯を磨いていて、ヤギヤギはトイレから出て来ない。レーコさんとケータは黙って続きを待っている。仕方ないなというように、あっちゃんが「テレビで何を?」と続きを促す。すると紺色は、今度は身体ごとあっちゃんの方に向いて続けた。

「成人式です」と。

 だから、なにが?

「ぼくは、成人式の様子を伝えるニュースを観ていてはたと膝を打ったんですよ。きっと、成人式こそが、サンタクロースが本当にはいないということが告げられる日に違いない! ってね。だからみんな、あの日はやけになってお酒を呑んで騒ぐんだって。そう思ったんです」
 はぁ…。はたと膝を打つなんて、じじくさいというかなんというか…。
 
「そりゃあ、恥ずかしい話だな」と、トイレから出てきたばかりのヤギヤギ。聞いてなかったくせに。
「でも、子どもってそういうところありますよね」
 と、レーコさんはにこにこして言った。
「よせレーコ、いい気にさせるなよ。こいつの話は、際限なくつまらないって、むかしっから有名なんだから」
「おい八木、それはひどいだろ。おまえだって、おまえの話なんかいつも……」
「そうそう、先生の話もたいがいくだらないし、時間の無駄って有名ですよ」と、下を向いたままボソボソと少年。
「ヨシナガ、そういうことはピックをギターん中に落とさなくなってから言え」
「ヨシナガじゃなくてヨシミズだってば」と美月。
「だめだめ。八木に一旦刷り込まれた情報は上書きされないんだから」と紺色。
「わ、やっぱりそうなんだ」とレーコさん。
 アタシはキョロキョロキョロ。忙しいな。

「それより人生ゲームしようよ、せっかく持ってきたんだから」とあっちゃん。
「まったく、何が人生ゲームだよ。じゃあ、俺はレーコとペアな。風間はあぶれるから銀行係をやれ」
「いいけど、次は八木が交代してくれよ」
「次なんてねぇよ。一生あぶれてろ」
「相変わらずだなぁ、八木は」
「ひどいなぁ、おじさん」
「ひどいなぁ、お、じ、さ、ん」
「こら、生徒の分際でなんだ」
 ヤギヤギはヨシミズのおでこを人差し指で小突く。
 
「ところで八木さんは、いつから先生なんて始めたの?」
「いつだっけ。安定した生活というのをちと考えてな、試しに風間んとこの楽器店の講師にさ……」
 お、やっと分かってきたぞ。
 紺色は楽器屋で風間っていう名前。ヤギヤギはギターの先生を始めて、ヨシナガはその生徒なんだね。引越しやさんはやめたのかなぁ。

 レーコさんと美月がテーブルを片付けて、ケータがゲームを広げ、紺色が紙切れを数えたり並べ始めた。あっちゃんは色とりどりの小さな車みたいなのに人みたいなものを差し込んでいる。ヤギヤギはさっきまでレーコさんが座っていた場所の隣りに缶ビールを持って移動して、ヨシミズはルーレットの回り具合を確かめている。
 なんだか知らないけど賑やかだ。
 たまには騒がしいのもいいな。見ているだけのアタシも楽しい。

 人生ゲームってなんだろう。
 誰かと出会ったり別れたり、泣いたり笑ったり、途中で金魚を買ったりするのかな。
 最後はやっぱり大富豪がいいな。
 しあわせの大富豪。

 ああ、レーコさんが笑ってる。
 アタシも笑っちゃう。

 充電器フォルダーに置いたままのレーコさんの携帯電話の、メールの着信を知らせる紺色の小さなランプがさっきから点滅している。誰からなんだろう。
 レーコさんがもっともっと笑顔になれるメールでありますようにと、アタシは心から願う。


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