(8)ぼくはレーコさんになにをあげられてる?
 日が暮れて、アタシの水槽の温度も少し下がりはじめたころ、玄関の方からハラッポの声が聴こえて、レーコさんたちが帰ってきたのがわかった。
 どうでもいいけど、ハラッポはいつでもしゃべっているような気がする。

 「あーあ、あの金魚、買ってきたかったなぁ。レーコさん、どうして新しい金魚をいやがるんですか? なぁ、オマエだってひとりじゃ寂しいよなぁ」

 う。前に聞いたことがあるぞ、この台詞。

「ほんとに可哀想だと思う?」
「んー……」と、ハラッポはアタシの水槽をのぞき込む。そんなに見るなよ。

「寂しそうでは、ないね。じゃあさ、もうひとつ水槽を買って入れて、隣に置くってのどう? 隣に置くんじゃなかったら向こうの部屋とか」
「なんでそんなに新しい金魚にこだわるのよ、子どもみたい」

 へーん、言われた言われた。
 レーコさんはキッチンにお湯を沸かしに行った。レーコさんは外から帰ってくると必ず最初にお湯を沸かすんだ。ポットに残っていればそれを沸かし直す。ぬるいのは許せないらしい。

 ハラッポは「子供みたい」が気に障ったのか、むっとした顔をしているけど、いつものように家や車のキーや携帯電話をポケットの中から出して、アタシの水槽の横に置いた。
 ハラッポはなんでもポケットに入れていて、それがいつの間にかレーコさんの部屋の中で落ちてみつからなくなってしまうことが何度かあった。だから、大事な物は必ずその場所に置いておくことに決められたんだ、レーコさんに。(だから子どもみたいって言われるんだ)

 逆に言えば、他の場所には絶対に置けない。アタシの水槽の隣のスペースだけが、ハラッポの私物を置ける場所。ハラッポがそのことに気づいているかどうか知らないけどね。

 今は、そのスペースがちょっと狭い。「お正月」というのが来たから、ちっさい真空パックの鏡餅が飾ってあって、その脇には年賀状も積んである。おっちょこちょいのハラッポはこないだ、それをみんな床に落としてしまったりもした。

「原くん、コーヒーでいい?」
「もう煎れてるじゃん」
「これはわたしのだもの。キミがホットミルクがいいっていうなら、それはそれで用意するよ」
「俺は猫じゃないぞ」
「そりゃ、猫ならホットは無理でしょね」

 あれ? ハラッポが笑わない。

「俺ね、レーコさんにいろんなもんもらってる気がする。
 その……元気だとか、自信だとか? そういういろんなもの」
「なに? 急に」
「でもさ、俺はどうなのかな。レーコさんに何かしてあげられてるのかな」
「そういう、してもらうとかしてあげるとか、与えるとか与えられるとか、支えるとか支えられるとか、そういう、関係を定義するみたいな言葉はキライだな。お互い様っていうか、ふたりでいるから、いろいろ生まれるんじゃない?
 わたしはべつに、ジェネラスになんでも上げたくて何かしているわけじゃないし……」
「俺みたいにジェラスでもない……?」 
「え?」

「『俺がすくってやった金魚はまだ生きてるか?』って、年賀状の男、だれ? この金魚だけが大事なのはなんでだよ。他の生き物はいやがるのに」
「そこにある年賀状、見たの?」
「たまたまそれだけ見えたんだよ」

 あ、わざわざ見たんじゃないのはアタシが保証する。落とした年賀状を拾い集めるときに、見えちゃったんだと思うよ。
 でも、レーコさんの顔色は変わっちゃった。

「ねぇ、わたしには原くんが必要で、たくさんいろんな物もらってるって、言うのは簡単だよ、でもね……」
「簡単だったら言ってくれたっていいじゃないか。なんで、でもね……って言うんだよ」

 あー、また子どもみたいって言われるぞー。
 でも言わない。レーコさんは黙っちゃった。もう、アタシから見たらふたりともガキっぽいよ。だいたいさ、アタシをすくったのはレーコさんじゃん。そういうことはちゃんと言っておいた方が良いと思うんだけどなぁ。

「今日は帰る」
 ハラッポは上着を着直すと、さっき出したばかりの私物をポケットに入れて、ずんずんと帰ってしまった。
 でも、鍵を忘れてる。
 ねぇねぇ、レーコさん、あの馬鹿、鍵を忘れてるよ!

 レーコさんもそれに気がついて、急いでアタシのそばに来ると鍵を手に取った。けど、ハラッポを追いかけたりはしなかった。

「ねぇ、もしもよ、もうひとつ隣に水槽があって、その中の金魚を好きになったらどうする?」

 え? アタシに聞いてるの?
 どうするって、そりゃ、水槽を飛び越えようとするかなぁ……しないかなぁ……。
 でも、隣りにもうひとつ水槽があるとしたら、その中にいる相手がイケ好かない奴だった場合の方が、アタシにはずっと重要な問題かもしれないなぁ。

 ……って、どうしたの? レーコさん、そんな湿っぽい顔して。

「原くんは、鍵なんかなくても大丈夫よ……。きっと、みぃちゃんが開けてくれるんだから」

 へー、ハラッポのとこのミィちゃん、ちゃんと帰ってきてたんだね。
 鍵が開けられるなんて、猫って賢いんだな。油断ならないな。

   ← ...index...