(9)馬鹿っぽいお姉ちゃん、好き
 このごろのレーコさんは、手の平に乗るそれをたいそうかわいがっている。それがピロピロ鳴くたび、どんなに忙しく他のことをしていても、相手をする。片時も身体から離さない。いつも服のどこかのポケットに、それは入っている。

 それまで使っていた携帯電話をやめて、レーコさんがその赤い携帯を買ったのは一週間くらい前だ。アタシにご飯をくれている途中でも、そいつがピロピロ言えば、レーコさんはそっちに係りきりになる。
 よく見ると、ハラッポの携帯と同じマークだった。違うのは色だけかもしれない。

 声の電話をするのはたまにで、いつでも指先で話している。一度始めるとずぅっとしている。寝るときも持って行く。レーコさんひとりでいるのに一人ではないような、不思議な景色をアタシは見ている。いつでもレーコさんのそばに誰かの気配がある。なんだか気持ち悪い。だから、ちゃんと人間の形をした妹のあっちゃんが来た時はほっとした。
 
「お姉ちゃんさ、なんか今、思い出し笑いしなかった?」
 したした。コーヒー煎れながらニニニって。
「してた? してないよ。あ、お砂糖、入れるんだったらそこから自分で取ってね」
「あれぇ? 携帯替えたんだね。なんでなんで? 八木さんと別れたから?」
「どうしてそうなるのよ。全然関係ないよ」
「だって、あれまだ新しかったじゃん。ねぇねぇ、この機種って使いやすい?」
「あ、ダメ! 勝手に触らないでよ」
「なんでよ。別にいいじゃん。あ、メール来た。読んであげる」
「ダメだったら! 返して!」
「うそだよーん。ふーん、お姉ちゃんが慌てるの久しぶりに見た」
 ほんとほんと。赤くなってるし。
 
 そのとき、本当にピロピロって音がして、レーコさん、携帯をポケットに入れると何気なく別の部屋に行ってしまった。
 あっちゃんがにやにやしながらアタシに話しかける。
「あの人最近、あんな感じなの?」
 まあねーと、アタシはその場でくるり。伝わらないとは思うけど肯定のしるし。
「幸せそうなのはいいけどねぇ。今度は大丈夫なのかなぁ。お姉ちゃんてさ、昔からそれなりにモテるくせに、男運がないっていうか。高校のころからずっと恋愛がヘタクソなんだよ。ま、自業自得かもしれないけどね」
 そういえば、あの金魚すくいの男、ヤギヤギも変な奴だった。
「八木さんはいいと思ったんだけどなぁ」
 え? そうなの? アタシを見ながらじゃ飯がまずくなるとか言ったんだよ、あの男ったら。
「お姉ちゃんてさ、馬鹿になれないじゃん。ずっと好き好きって浮かれていられなくて、いつの間にか辛いだけの恋にしちゃうんだよ。でも八木さんはさ、そういうのに巻き込まれない人っぽかったんだ。だからいいと思ってたのになぁ、振っちゃうんだもんなぁー、もったいないよなぁー」
 あ、あっちゃんはわざとレーコさんに聞こえるように言ってるんだな。レーコさん戻って来た。

「なに大きな声で独り言を言ってるのよ」
「独り言じゃないよ、金魚と話してたんだから。わたしは、恋をして馬鹿っぽいお姉ちゃんのこと、好きだよってね」
「馬鹿っぽいってなによ」
「まぁ、頑張りたまえ、姉よ」
「なによ、偉そうに」
「そうだ、その人、今度ライブに連れて来てよ」
 ライブってなになに?
「だって、でも、八木さんがいるじゃない」
「気にしない気にしない。八木さんはそんなことこだわんないよ」
 拘らないっていうところがむしろ怖いような気がするけど……。
「あら、随分あの人の肩をもつのね」
「そりゃ、彼氏が尊敬してる先輩ですからね」

 へーえ、そうなんだ。
 あっちゃんの彼氏って、どんな奴なんだろ。アタシはむしろ、その彼氏のことを尊敬しちゃうな。
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