番外編2 原くんの手紙
 レーコさん、元気にしていますか? してるよね。 「元気だったらいけないの?」なんて言われそうだ。

 ぼくは今この手紙を、半地下のひんやりと静かな倉庫の入り口で書いています。隠れているわけじゃないよ。この場所が一番落ち着くんだ。奥の方には水周りに使うパイプやバルブ、階段の脇の壁の棚にはボルトやナットが、サイズ別に木の升に入れられて並んでいます。その、打ちっ放しのコンクリートのしめった匂いがする階段の途中に座って、ぼくは手紙を書いているのです。
 
 子供の頃からこの場所が好きでした。ナットをひとつ手の平に乗せては、そのかすかな重さと冷たさを長い時間眺めていたりしました。体温で暖まってしまったら升に戻して、別のナットを手に取るんだ。まるでナットごとの重さや大きさを手の平の窪みで確かめるようにしてね。
 小さい頃に一度、升ごとに分類されたナットをめちゃめちゃに混ぜてしまったことがあったらしくて、それ以来ここに来るたび、「いたずらするなよ!」っておやじに念を押されたのを覚えています。それでもおやじは、ぼくが家業に興味を持つことは嬉しかったんだろうな。ここはいつだってぼくの場所で、店に来るお客さんから「原商店の三代目!」なんてぼくが呼ばれるのを喜んでいたものでした。

 その煩いおやじの容態ですが、腰の痛みはだいぶ良くなってきたようです。まだ運転もできず、仕事は思い通りになりませんが、ときどき店に出てきてぼくに文句を言うくらいには元気です。
 だからって、ぼくが東京に戻れる日がすぐ来る訳じゃないけれど……休みの日に遊びに行く暇くらいは取りやすくなるんじゃないかな……なんて、ちょっと期待してしまったりします。
 
 あぁ、レーコさんここまでちゃんと読んでくれているかな。なんだか不安になってきました。
 早く伝えたかったことを書かなきゃ……
 
 昨日、うちにあった雑誌をぱらぱらと見ていたら「季節の花」というコラムがありました。普段ならそんなコラム読まないんだけど、偶然目に入ったんだ。「ハナミズキの花言葉」って書いてあったから。
 去年、ふたりで日比谷公園を歩いていたとき、レーコさんはぼくに訊いたよね、「ハナミズキの花言葉って知ってる?」って。ぼくはもちろんそんなことは知るはずもなくて、「知らないよ」って言うと「知らないよね」ってあなたはすぐに話題を変えたから、あのときはそれっきりだったね。

 桜を贈ったお返しにアメリカから貰ったのがハナミズキの最初らしいってこととか、ほら……いつかその原木を見に小石川植物園に行ってみようねなんて、そっちの話で盛り上がったのを覚えています。花言葉なんて興味がなかったし、レーコさんらしくないなって気もしたし……。

 とにかく、そのコラムを読んぼくは、今になってやっとレーコさんの質問の答えを知りました。
 レーコさんはちゃんと知っていて、ぼくに尋ねたんだ。……そうだよね? ハナミズキの花言葉。

 ありがとう。

 そのことを伝えたくて手紙を書きました。電話だと「そんなこと忘れたわ」って、軽くいなされそうだし……。今さら遅いよね……まったく。
 あのとき、ぼくがレーコさんに尋ね返していたら、あなたはちゃんと答えてくれていたのかな。そうしたらそのとき、ぼくは何を言えたんだろう。ぼくが困るだろうとわかっていて、あなたは言うのをやめたんだろうか。
 昨日から何度も考えています。

 こちらでも、今年のハナミズキが咲いています。あの公園で一緒に見たような大きな白い花を見上げて、ぼくはレーコさんの講釈を思い出したりしています。「あの周りの花びらみたいなのはね、実は花びらじゃないんだよ」なんて。
 あれ? 花びらじゃなくてなんと言うんだっけ。
 レーコさんの声や姿ならこんなに鮮やかに思い出せるのにな……。

 日比谷公園を歩いたのは、ぼくの誕生日だったね。
 今年もその日を過ぎて、またひとつ年をとりました。レーコさんからの「おめでとう」という電話や手紙を期待していなかったといったら嘘になるけれど、きっと思い出してくれていただろうと、馬鹿なぼくは信じています。そうじゃないと辛くなるから、勝手に信じています。笑ってもいいよ。

 そうそう、金魚はまだ生きてますか?
 生きているなら、ぼくの代わりに訊いてみてくれませんか。 また会えるかなって……。
 あいつ、いやな顔するかな。水槽の中をブンブン泳ぎ回ってさ。「なによ、なにしに来るつもりよ!」って真っ赤になってむくれるかもな。

 ああ、「家路」のメロディーが聞こえてきました。17時になると有線で流れるんだ。「良い子のみなさんは、早くお家に帰りましょう」ってね。田舎だろ?
 ぼくもそろそろ帰ることにします。とりとめのない手紙になってしまったけど、書き直したところで同じでしょう。

 すぐそこの郵便局の前にもハナミズキがありました。まだ若くて細い木に、ピンクの小さな花が咲いています。ぼくはそのポストから、この手紙を投函します。

 金魚によろしくね……  
             
 
 レーコさんへ                    唐変木より



*ハナミズキ・花言葉……「わたしの想いを受け取ってください」
   ← ...index...