バイクに乗せられるのがどんな気分かっていうこと、知っている猫は少ないと思う。
そりゃあもう、サイテー!……と、声を大にして言いたいあたしは原くんとこにいる猫。名前はみぃ。覚えてる?
軽い交通事故に遭っちゃって、後ろの右足がちょっとだけ不自由だけど、あたしちゃんと生きてる。(
参照)
「ほんの少しだから我慢してくれよな」と、原くんに言われてあたしはキャリーに入れられ、それからバイクの荷台に括り付けられた。
ぐらっと揺れたと思ったら、ぶるるるんと振動。あたしは毛布に爪を立てて首をすくめてぐっとこらえる、こらえる、……こらえられない。ムギャーーー……。
すぐにバイクは止まった。キャリーの扉が開いて、原くんの手がにゅっと入って来る。原くんはあたしを外に出して抱きかかえると、あたしの鼻に自分の鼻をくっつけた。原くんからあたしに頼み事があるときのポーズだ。
「おまえさ、やっぱり後ろじゃ心配だから、ここんとこに入っててくれないか。静かにできるよな? ほんの5分だから、じっとしててくれよな?」
イヤダ!って、言いたくたって言えないやい。あたしは原くんのジャンパーの内側に入れられて、チャックがジジジーと閉められた。
みい子があたしに会いたいって言ったから、原くんはあたしをみい子の実家に連れて行くらしい。
みい子のお母さんがぎっくり腰になって、みい子が実家の美容院を手伝うために原くんを置いて東京に帰ってしまってから随分経った。これまでも週末になると原くんはみい子に会いに行ってたけど、今日は、あたしも連れて行ってくれるってわけ。そのまま東京に残れるのかなぁ……。
原くんの懐の中はサイコーだったけれど、やっぱりバイクはサイテーだ。掃除機の次にサイテーだった。
でもあたしはじっとしていた。掃除が終わるのをソファーの下でじっと待っているときのように。
そしたら案外、すぐに終わった。
乗り換えだ。
「おやじ、車借りて行くよ、構わないだろ?」
「東京行くのか?」
「あぁ、今日は連れがいるんだ」
「なんだ、随分とべっぴんのお連れさんだな」
ふふふん。
「猫はいいけど、おまえ、みい子さんとそろそろちゃんと……」
「ガソリン入れて返すからさ!」
何か言いかけたお父さんから逃げるように、原くんはあたしを後部座席に乗せてさっさと車を出した。
バイクよりも車の方がいくらかマシだけど、快適じゃないのは同じだ。あたしは無理やり寝ていることにした。
目が覚めたのは、みい子の実家の美容院の近くの見慣れた駐車場だった。
原くんの右手にキャリーごと下げられて、あたしは懐かしい外の空気を吸った。もうすぐみい子に会える。
……と、思ったら、原くんの足が急に止まった。
なに?
それから決心したみたいに急に向きを変えると、全く違う方向へ歩き出した。
どうしたの? 忘れ物?
でも、駐車場も通り越して、ずんずんずんずんと歩いていく。途中から走るようにしてどんどん行く。
ちょっと待って、揺れるよ、怖いよ、ねぇ、あたしのこと忘れてない?
みい子のところに行かないの?
何がなんだかわからなくなって、いよいよ気分が悪くなった頃、始まったときと同じように急に動きが止まって、すとんとあたしのキャリーは床に置かれた。
数時間ぶりに地に足が着いた感じを味わって、だんだん頭がはっきりしてきて最初に見えたのは、桜色の、ヒールの細いサンダルだった。
「今日は、バイクじゃなかったの?」
「どうして?」
「風の、匂いがしないから…」
どこかで聞いたことのある、女の人の声だ。
「猫を、連れてきたから…」
「そう…」
そうだよ、早くみい子のところに行こうよ。
「元気だった?」
「なによ……変なの。先週も会ったのに」
「なんだか不安で」
「どうして?」
「レーコさん、このごろ素直すぎるから」
ねぇねぇ、なにをごちゃごちゃこそこそやってるの?
あたし、ここにいるの忘れてない?
そう思って、存在をアピールしようと思ったけど、あれ? あたし、声が出せない。
「素直じゃない方がいいの?」
「そうじゃないけど……。なんだかやさしすぎて、少しずつ遠くなっていく気がするんだよ」
「遠くに行ったのは原くんでしょ? 変なのは、こんな風に来てくれる原くんだよ」
「そうかな……」
衣擦れの音。コンと、ヒールが床を打つ音……ため息。
そういえばずっと前、みい子も同じ様なこと言ってたよ。この頃原くんがやさしすぎて不安だって。前からやさしい人だったけど、やさしすぎて淋しくなるって。あたしにはよくわからない。
高級な餌をたくさんもらったり、猫っ可愛がりされたらあたしも不安になるのかな、そもそも不安ってなんだろう……。それより早く行こうよ原くん。みい子が待ってるよ。
あたしはもう一度声を出そうと試みた。
「ふ…み…みやぁはぁー…」 なんだか変だけど、出た!
「あ…、もう行かなきゃ」
「そうだよね」
「それじゃ…また…」
「うん、顔を見せてくれてありがとう」
あとで原くんはまた、あたしの鼻に鼻をくっつけて頼み事をするんだろうか。「今日のことはみぃ子には黙っててくれよ」って。
そしたらあたしは、原くんの鼻の頭に思い切り齧りついてやろう。
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