線香花火 

 コンビニの角を曲がると、ぷんとオシロイバナの匂いがした。小さなマンションのゴミ置き場の脇に、赤い花が群れている。

「ね、どうするの? 線香花火ばっかりそんなに買って……」
 先を行くテツオの背中を小走りで追いながらわたしは訊いた。
「もう遅い時間だから、静かな花火の方がいいだろう」
 固い背中を見せたまま、声だけが優しげに返ってくる。
 なんで急に花火なんか……と、喉まで出かかったけれど、駅前で待ち合わせた時から不機嫌そうな彼に、質問を重ねるのはためらわれた。

 暗い脇道の、そこだけ明るい自動販売機が、テツオの赤茶けた髪を照らしていく。足下には打ち捨てられた漫画雑誌が、夕方に降った雨に濡れて崩れて散らかっていた。テツオの向こうには、まるで掛けかけのボタンのような月が、雲の中にぼんやり浮かんでいる。

 テツオは、先に立ってどんどんと歩くと小さな鳥居をくぐった。
 今まで静かだった足音が、砂利を踏んで急に大きく響き始める。
 ザッザッ……と、それは無言でいるテツオの代わりに、わたしを責めているように聞こえる。わたしの中の、責められるべき小さな「アヤマチ」たちが、胸の底でざわざわと隠れ場所を探して駆け回り始める。

「ここらでいいか」

 神社の境内と言っても、すぐ周囲を民家に囲まれた場所だ。どこかの飼い犬がひとしきり吠えて、静かになった。
 テツオはコンビニの袋から線香花火を取り出すと、一本をわたしの前に突き出す。

「競争しようぜ。どっちが長くもたせることできるか」
 そう言いながら花火と一緒に買ってきたロウソクに、テツオはライターで灯をともした。

「一緒に点けよう」
 
 わたしたちは同じくらい日に灼けた腕を寄せ、それぞれの花火をロウソクの火に近づけた。一瞬燃え上がるかに見えた先っぽが、ジジジ……と言って、オレンジ色に丸まる。

「負けた方が、相手の質問に正直に答えることにしようぜ」
「何よ、それ」
「おまえに訊きたいことがあるんだ」

「だったら今、訊いたらいいじゃない」
 思わず強くそう言ったとたん、わたしの花火の先は、砂利の上に落ちてしまった。

「一回戦はおれの勝ちだな」
「何? 何が知りたいの?」
「興奮すると、また負けるぞ」

 テツオがまた一本、線香花火をわたしの前に突き出す。
 今度は慎重に火をつけて息をこらえた。
 かすかなパチパチという音と一緒に小さな光がはじける。
 だんだん大きくなって、やがて静かになっていく。
 細い細い枝垂れ柳のような線を描ききって、テツオの花火の方が、ほんの少し早く光をなくした。

 勝った。わたしはほっとため息をついた。

 テツオは無言で新しい一本に火を点けるように促す。
「ねえ、知りたいことがあるなら、訊いてよ」
「いや、聞きたくはないから……」
「なにそれ。言ってること、変じゃない?」
 するとテツオは、じっと見つめていたロウソクから、初めてわたしの方に顔を向けて言った。

「おまえは? おまえから俺に話すことないの?」

 新しい二本に同時に火がついた。
 わたしは目を閉じて息を詰めた。
 テツオは知っているんだろうか……。わたしとサチオとのことを知っているんだろうか。

 いや、そんなはずはない。

 でも、もしも知られているとしたら……なぜ? 
 どこで見た? だれから聞いた?

 わたしの線香花火の玉は、はじける前に落ちた。

「がんばってくれよ。
 おまえが負けたら、聞きたくないことを聞かなくちゃなんなくなるじゃないか」

 また新しい線香花火が渡される。
「やめようよ、もう」
「何で? まだこんなに残ってるよ」
 テツオが指先で袋を持ち上げ、ゆがんだ笑顔を見せる。
「最後までちゃんとやろうぜ」

 テツオが勝つ、わたしが負ける。
 わたしが勝つ、テツオが負ける。

 無言のまま、ただ単調に線香花火に火を点けて勝敗を決めていく。

「もしもわたしが勝ったら、それは知らなくてもいいことなの?」
「ああ。何も訊かない。
 おまえを信じることにする」

 やっぱり何かを知って、疑っている。
 いつ? どうして? どこまで知られている?

 わたしが負ける。テツオが勝つ。
 テツオが負ける。わたしが勝つ。

 花火の灯りの中に浮かぶ、おなかを見せたセミの死骸……。

 わたしは、うまく嘘がつけるだろうか。
 サチオとはなんでもない。本当になんでもない。ただの火遊びだ。
 テツオとは違う。
 テツオを失いたくない。テツオは、失いたくない。

 そう、強く思えば思うほど、わたしの指先は震えた。