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(最終章)
 牧野の作品は好評で、展示会は別の場所でも開かれることになった。そのおかげもあって、ぼくの写真も注目された。そうして念願だった写真集を作ることができて、約束通りに姐さんに10冊買ってもらったのは、それからまたもう少し先の話になる。

 * * * * *

 いつものように整頓屋の仕事を終えて明け方にアパートに帰ると、あの教会の椅子のポケットに、四つ折りにした紙片が入っていた。
 鈴村からの手紙だろうと思いながら開いてみると、そこには見慣れない文字が並んでいて、端っこに鈴村の文字が書かれたピンク色の付箋が貼ってあった。『ミツくんからだよん』と。

 "だよん"かよ……。

 牧野とはあの晩に分かれたきりだった。展示会のあとも何度か仕事で上京したけれど、今は長野で制作に専念していると鈴村から聞いていた。

 手紙はレポート用紙一枚で、『香坂さんへ』と、ぶっきらぼうに始まっていた。

『 お元気ですか? 先日はいろいろありがとうございました。
  ハナちゃんの好きな人が香坂さんのような人でほっとしました。
  どうか彼女を幸せにしてあげてください。

  なーんて、
  残念ながらそんなことは言いませんよ。
  だからって、絶対に諦めないとか、ハナちゃん以外の人は考えられないとか、
  そんなことを言うつもりもありません。
  ぼくにとって彼女は必要な人だし、
  彼女にとっても、ぼくは必要な人間だと思っています。
  今までもそうだったし、これからもずっと。

  人と人が出会って影響しあうってそういうことだと思うし、
  恋人とか友達とか、
  関係に名前を付けなきゃいけないこともないでしょう? 』

 読んでいるうちに牧野のことを思い出して懐かしくなった。どこか少し子供っぽいくらいに屈託が無くて、自分自身を信じている笑顔。
 
『 お互い、椅子を求めてうろうろするより、自らがいい椅子になりましょう 』

 手紙はそう結ばれていた。

 眠気を振り払うように顔を洗って着替え、ぼくはベッドに後ろ髪を引かれながらも、すぐにまた部屋を出た。
 緩やかな坂を、都電と競争するようにリズミカルに下る。

 そうだ、音楽は流れ続けている。椅子取りゲームは苦手だと言ったぼくの上にも、牧野の上にも、鈴村の上にも。
 いつかメロディーが止まったとき、ぼくらはどこにいて、どこに座るんだろう。鈴村が安らぐのはどこだろう。それはまだまだ分からない、先のことなのだ。
 ただぼくは、よりよい自分を生きていけばいい。

 大塚駅が見えてきた。
 ロータリーの向こう、花屋のそばで、ひらひらと手を振る鈴村が見えてきた。
 ぼくは歩く速度を緩め、背筋を伸ばして鷹揚に手を振り返す。
 それからやっぱり我慢できなくなって、みっともないほど全力で、彼女に駆け寄った。

(完)

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