(39)手作りの封筒 
 八木の自転車は、雨の日以来ずっと置きっ放しだ。
 藤野くんがね、届けたいものあるから来るんだってと、珍しくレーコさんがアタシに教えてくれた。困ったなぁ、あの自転車邪魔だよねって言われたって、水槽にいるアタシにはその邪魔さ加減が分からないんだけど。

「自転車なんかどうしたの?」と、もちろん藤野は玄関で言った。でもレーコさんが「預かりものなの」と言うと、それ以上何も訊かなかった。藤野が来るのはナントカっていう先輩からレーコさんにしつこく電話があって、なんだかんだのあのとき以来だよね。ちゃんと仲直りしたんだろうか。

「これ、遅くなったけどおふくろから。ほら、萩さんのお葬式に行ってもらったときのお礼みたいなものだって。少ないけど美味しいもの食べてって言ってたよ」
「いいのに、そんな……」
「ふたり分くらいはあるから、誰かと行ってこいよ」
「誰かとなの? 藤野くんがエスコートしてくれるんじゃないの?」
「おふくろにはそう言われたけど……」
「でしょう?」
 なんだろね、遠慮がちだね藤野。とりあえず今日はお酒を全く飲んでいないのがよく分かるよ。

「それからこっちは、ばあちゃんから」
 そう言って鞄から藤野が出したのはきれいな封筒だった。
「この封筒、手作り?」
「そうだけど、レイちゃんもそういうのイヤ?」
「レイちゃんも、って、どうして?」
「いや、なんかそういう、他人の手がべたべた触ったものをいやがる人もいるらしいからさ」
「わたしは平気よ。それに、藤野くんのおばあちゃんだし。あ、月桂樹の葉っぱが入ってる」
「うん、俺知らないからさ、ばあちゃんが葉っぱなんか入れてるの、ちょっとおかしくなったのかって心配しちゃったよ」
 アタシも心配しちゃうな。
「ようく乾燥してあるね。いい香り」
 どれどれ? と、藤野が同じ葉っぱの匂いを嗅ぐ。なんだか今日はいい感じだな。

「藤野くんのおばあちゃんは手仕事が好きだよね」
「暇だからな」
「そういうものじゃないと思うよ。そうだ、高校のときにお弁当を包んでいた袋も手作りだったよね。ほかの男子とは違って、ちゃんとお弁当箱の大きさに合わせた巾着袋だった。和風の柄の……」
「よく覚えてんなぁ。あれ、女子みたいって言われてしょっちゅう笑われたんだけど、弁当もばあちゃんが作ってくれてたし、ばあちゃんが誂えてくれた袋だから、いらないなんて言えなくてさ」

 そういうところが藤野のやさしいところだよね。

「そういや、そんなお弁当袋なんてかっこ悪くて藤野くんに似合わないからこれ使ってってさ、いきなりバンダナを押し付けられたこともあったなぁ。俺は要らないって言いたかったんだけど、そうするとばあちゃんのことも説明しなくちゃならないし、それで納得してくれるような子でもなかったから、咄嗟にそのバンダナを鞄の持ち手のところに結びつけて……」
「それって、」
 あれ? レーコさんがすごく驚いた顔をしている。
「それって山吹色の、目立つバンダナのことだよね、千春とお揃いの……」
 わおー、久しぶりに聞いたその名前。あんまり聞きたくなかったけど。

「そう、それ。弁当箱よりも目立つ鞄に結んでくれたってんで、アイツにはえらく喜ばれちゃってさ。今思えばあれこそ女子っぽいのにな。次の日にはアイツも同じバンダナを鞄の同じ場所に結んで来て、それで俺たちがつきあっているのは一目瞭然ってことになったんだ」
「覚えてるよ。千春、すごく喜んでたもん。藤野くんがじぶんとお揃いのバンダナをつけて、校内中に彼女の存在をアピールしてくれてるって」
 目に浮かぶなぁ、鼻高々な千春さんの顔。
「俺はただ、ばあちゃんの弁当袋を守りたかっただけなんだけどね」

 えーとえーと、じゃぁ、本当は千春さんとはつきあってなかったってこと? ねぇねぇねぇ、そこんとこちゃんと訊いてよレーコさん。

「お揃いのバンダナ結ぶくらいだからとても二人の間に入り込む余地はないなって、諦めた女子がたくさんいたはずだよ。みんな本当のこと知ったら驚くね。今更だけど」
 レーコさんはどうだったんだろう。諦めた女子のひとりではなかったのかな。
「レイちゃんも俺も、お互いに昔からよく知っているようで、知らなかったことはたくさんあるんだよな。いちいち本当のことを確かめたりなんかしないしさ」
「千春は本当のこと知ってたのかな」
「さぁ、どうだろう。俺の本心なんかより、俺とつきあっているっていう事実をアピールすることの方が大事だったんじゃないか?」
 おお、色男発言。
「でも、千春は藤野くんのことを本当に好きだったよ」
「そうかな。本当に、なんて、レイちゃんにも分かんないと思うよ」

 おやおや? こういうときにすかさず「レイちゃんはどうだったの?」って訊くのが藤野じゃなかったっけ。
「ごめん。昔のことはいいよね。それより、いつ行く?」
「どこへ?」
「お食事」
「ああ……俺とでいいなら、また連絡するよ」
 うーん、今日の藤野はテンションが低いな。

「なんか元気ないね。最近はどうなの?」
「どうって?」
「若い子に殴られたりしてない?」
 そんなこともあったね。あのときも酔っぱらってたっけ。
「レイちゃんは大丈夫? その……、葛巻先輩のこととか……」
 お、やっぱり気にしてたのか。
「もう全然、電話もないから大丈夫。電話機自体がないんだけどね。ほら」
 うーん、藤野ったら気づいてなかったのかなぁ。ちっともアタシの方を見ないからだよー。
「そっか。よかった。それじゃまた、連絡する」
 ええー? もう帰っちゃうの? たまにはご飯くらい食べてったらいいのに。あの葉っぱでシチューでもことことしてもらって、ゆっくりしてったらいいのに。それでもって暇だったら、アタシに話しかけたっていいのに。

「藤野くん、さっさと帰っちゃったね」
 そう言いながらレーコさんは、おばあちゃんの封筒を覗いている。なんだろう、葉っぱがお金に化けたかな。でも、レーコさんが見ていたのは封筒の内側だったみたいで、
「ねえ、これって、結婚式場のパンフレットから切り取って作った封筒だよ……」
 そうなの? どうしてそんなパンフレットを藤野のおばあちゃんが持ってたの? おばあちゃん結婚するの?
「藤野くん、結婚するのかな」
 ええー? 
「だったら言ってくれたらいいのに。まさか、千春と? 違うよねぇ。そしたら千春が黙っていられるはずないし」
 やだよう、千春さんに藤野を取られるのだけはいやだよ。

「藤野くん、結婚しちゃうのかな……」
 レーコさん、封筒をくるんくるんと指先で回しながら眺めている。月桂樹の葉っぱも一緒に封筒の中でくるんとしているんだろう。
「いつまでもずっと同じではいられないんだよね……」
 ため息をふーっとついて、封筒を蛍光灯に透かすと、表と裏の柄がごっちゃになった。

 いつまでもずっと同じじゃない。確かにそうだよね。
 アタシもあんまりいつまでも生きてはいられない。だから早く、レーコさんにいいことが巡ってくるところを見たいな。
  

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